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第4回のインタビューは、根羽村の(株)片桐工務所の総務課長・田中きく江さんです。
村内、業界内で知らない人は恐らくいないでしょう。
‘きくちゃん’の愛称で多くの人から慕われています。この道五十余年、未だに現役で建設業に従事するきくちゃんに、公私に亘っていろいろなことをお伺いします。

きくちゃん、会社事務所にて

--入社のきっかけは何だったのですか。girl4

主人を亡くして根羽に帰って来た時、先代社長に請われて一か月の約束で会社の経理を担当したんだけど、あっという間に五十年たっちゃった。今は八十にもなるしぼつぼつかなと考えるけれど、それまでは心底辞めたいと思ったことはなかったかな。時には嫌なこともあったけど前向きに解決できたし、周りも支えてくれた。

--約半世紀ですね。凄いです。役所関係の入札も担当されていましたね。

役所、協会、税理士事務所等、飯田へはよく通った。道はだいぶ良くなったが、片道1時間以上かかる。夜はやっぱり怖いから慎重に運転した。特に冬の雪道は大変だった。国道等除雪・融雪が今ほど素早い対応じゃなかったからね。今は道も良くなって時間も短縮されたけど、いつも時間の余裕をみて安全運転を心がけている。

--バブルがはじけ、田中県政になったころ建設業は入札制度も変わり最悪の時期だったと思います。この危機を会社としてどうやって乗り越えて来られたのでしょう。

社長の営業力だと思う。県内の仕事を取るのが難しくなったので、県外(愛知県)の仕事の下請けをもらいに営業してくれたのが大きかったかな。

村内の工事では、たとえ一万円の工事でも(どんなに小さくても)絶対に断らず引き受けていた。そのお蔭で地元の人達にも片桐工務所という会社をうんと信用してもらえたと思う。

また、従業員の労務(給料)を確保するため、外注費は手形を断り何とか現金を頂いた。苦しいながらも、会社の支払いも手形をやめた。この時期、退職年齢が来る前に辞めた従業員はいなかったんじゃないかな。

--3年ほど前S新聞でプライベートの活動にスポットライトがあたりましたが、その後活動は順調ですか。(初の女性議員を誕生させた「根羽活かまい会」、葬儀で食事を提供する「菊の会」、登校を見守る「ねばこども守り隊」等)girl5

小学校のあいさつ運動は3年目を迎え、子供たちが変わってきたのが分かる。月一回朝の登校を出迎えてあいさつするが、下を向いて声も小さかった子たちが、元気よく、顔を上げてあいさつできるようになってきた。

菊の会も会員が70名で、それぞれ班を作って積極的に活動している。
他には村内の県道沿いに季節の花を植えて育てている。また、河川敷には芝桜を植えた。除草や灌水が大変だが、ボランティアでやってくれる。一人でもやってくれる人たちで本当にありがたい。

--きくちゃんを語るうえで絶対に避けて通れない話題「おしゃれ」についてお伺いします。
(ちなみに、今日のきくちゃんのいでたちは、トレードマークのオレンジ色のショートカットヘアー、色鮮やかなオレンジと白のボーダーポロシャツ、デニムのハーフパンツ、ピンクのスニーカー。かつて下條村の元村長さんが“根羽の原宿のお姉さん”と命名された。)

兄弟の中で女の子は私一人だったせいか、服は母がいつも作ってくれた。既成の服でなく私だけの服を着ることができた。勿論生活のためもあったと思うが手作りがうれしかった。

色はオレンジが一番好きで、赤、黒等、原色が好き。ゴルフもやっていたから、今も名古屋のデパートでよく買っている。
服装で一つ決めていることがある。うちの職場(会社事務所)ではスカートは一切はかないし、他の女性社員もそうしている。現場からの連絡で急ぎの用があったら、すぐ動けるようにといつも言っている。あれを持ってきてとか、ここを手伝ってとか。

--今日まで建設業にかかわってきて良かったと思うことは何でしょう。

(間髪いれず)人との巡り合いだね。本当にたくさんの人と知り合った。いろんなところでよく声もかけてもらえる。仕事を通じて知り合って、プライベートでも仲良くなったりして・・・  旅行も、カラオケもパチンコも。

その他に、大変だったことは、台風等災害があると、村の指示もあるので事務所に詰めるが、出て行った従業員が無事に帰ってくるまでいつも心配した。この五十年、会社として大きな事故もなくここまで来ることができたと実感する。ただただ感謝。会社にも、みんなにも。
これらすべて私の宝だ。

--最後になりましたが、これからの建設業について後輩たちに伝えたいこと等、どこからでもお話しください。girl6

この五十年で大きく変わったと思うことは、うち(当社)を見ていて、女性の仕事が経理・事務、土木作業だけでなく、工事にも十分関わって必要とされだしたことだ。うちでは今、各現場管理は勿論、社内パトロール、写真整理、草刈・清掃、書類作成等、五名の女性社員がどんどんこなしている。全員地元の人だ。一番若い子は去年入ったが、今大型免許を取っているところ。お父さんは元従業員だが、お父さんの仕事を見ていて自ら志願して来た。この仕事が好きじゃなきゃできない。

ベテランの女性社員は経理もするし、県のJV維持工事の現場管理をサポートし、書類も自ら作成し役所に届けている。

昔うちにいた女性社員さんにはその当時、みんな社会保険に入ってもらった。絶対役に立つし、これからは世の中そうなると言い続けた。その人たちに出会うと「きくちゃんのおかげでずっと年金がもらえてうれしい。」と感謝される。
わたしがいなくなっても、社内の女性の部署を確保していってほしいと強く思う。
分からないところはどんどん聞けばいいし、先輩男性社員も親切・丁寧に教えればいい。社長を中心にみんなが力を合わせて会社を継続していってほしい。それだけだね。

若手の女性社員さん

同僚のみなさまとご一緒に

お仕事に対する熱い思いをたくさん聞かせて頂きました

きくちゃんの五十年の存在そのものが、男性・女性社員がお互いを認め、尊敬し合い、ベストパートナーとして共存している会社を創っているのだと実感しました。勿論きくちゃんのベストパートナーは社長さんであるということも書き加えます。
田中課長さん、そして(株)片桐工務所のみなさんご協力ありがとうございました。

インタビュア:南信土木建築(有) 岡本まり子