インタビューロゴ

第11回目のインタビューは、有限会社赤津組に勤務する大津陽子さんです。

大津陽子さん

陽子さんのプロフィール

家族構成 義母・夫・息子(2才)
経営マネジメントの専門学校卒業
東京の大手スポーツメーカーに入社(5年勤務)
実家にUターン後、平成11年1月11日に赤津組入社

--建設業に入ったきっかけは?

東京からUターン後、仕事を探しているときに、伯父である現相談役に事務員で働いてくれないかと言われ入社。入社20年目に突入。

--私ですら嫁にきて26年しか経っていないのに!右も左もわからなかったけど、今では経理のプロだよね!全て任せられるんですよ。

--現在の仕事は?

事務全般。役所提出書類を作成、経理関係の書類作成等

--大きな会社は経理担当も沢山いるけど、全て一人でこなしているんだよね。事に、お金に関しては1円の狂いもありません。妥協いたしません。

--仕事の大変なところは?

人手が足りない時、年に数回現場に出なくてはならないこと。
従業員の愚痴を受け止める事。(仕事ではないな・・・)

--会社の紅一点。とても良い潤滑油なんだよね。

--会社の良いところは?

私は、子どもができなくて6年間不妊治療をしていました。その間、クリニックに行くため会社を休まなければならないことが多く、休みをもらったり、早退させてもらったりと本当に迷惑をかけました。けれど、1回も嫌な顔せず休ませていただき、おかげで最愛の息子を授かりました。社長の理解があったからこそ出来たことだと思っています。また、私は出産4か月目には会社復帰したのですが、息子が1才になるまでは
退社時間を1時間早めていただき、子育てに専念できるようにしていただきました。生まれてからも子どもが熱を出したり、健診があったりと会社に休みをもらうのは気が引けるのですが、いつも気持ちよく休ませていただき本当に感謝しています。

--『子供を授かる事は奇跡に近いんです』と言われた時は、ハッとしましたよ。同じ仕事を持つ女性として、気付けなかった事に深く反省しています。生まれた時は自分の孫のように、嬉しかったよ。もうすぐ3歳だね。

社長とは言え同じ女性でも相談する事には抵抗があったはず。でも会社に二人しかいない女性同士できることは何でもしてやりたいと思ったよ






私は姑がいない時は、当時の事務員さんによく子守りをしてもらいながら会社で仕事をしていました。建設事務所におんぶして書類提出した事も!(所長に飴ちゃん貰ったこともあります!)まぁ色々あったけど、子育てはほんの一瞬だから楽しんでね。義親との同居は大変だけど、上手に付き合うと(年数にもよる)、案外良いこともありますよ。完璧主義すぎるので、肩の力を抜いてやりましょう。男の子の子育てをした経験はありませんが、将来きっときっと母親の味方になってくれるでしょう。

--女社長は、あなたにとってどんな存在?

私にとっては、社長でもあり従妹のお姉ちゃんでもあります。夫であった前社長が突然亡くなり、本当に色々な苦労した所をずっと側で見てきました。よく、『電話番だけしていればいいからと言われて、嫁に来たのに・・・』なんてことも言っていますが、今では赤津組の社長として、なくてはならない存在になっています。また、社長という堅い肩書を取り払い、お互いに家であったことや楽しかったことなど、
愚痴ったり笑ったりと女子会ごとく話す時もあります。他の会社ではありえない関係です。社長はどう思っているのかわかりませんが・・・笑

--いいのか?悪いのか?わかりませんが・・・笑

--趣味は?

学生時代はアルペンスキーの選手でした。なので、冬はスキー・スノーボードをやります。夏は海に行ったり川に行ったり外でバーベキューしたりと、アウトドア大好きです。他に、サッカー観戦が好きでJリーグや日本代表戦を見に行ったりします。(子どもが生まれてからはなかなか出来ていませんが・・・)

--早く親子3人で行ける様になるといいね。今は子育て真っ最中だから仕方ないけど。子育て中しか出来ないこともあるからね。

赤津組玄関前にて一緒に



--建設業を目指す女性の方へ
これからは、建設業にも女性の力は必要になってくると思います。女性ならではの発想、仕事のやり方が評価され、男性社会の建設業を益々盛り上げていくことでしょう。
仕事をしながら家事や育児等、家族の協力なしではうまくいきませんが、家族の絆さえしっかりしていれば、女性でもやりたいことができる世の中になっていくと思います。
建設業に限らず、やりたいことを諦めず、挑戦していく気持ちを忘れないで欲しいと思います。

--必要にせまられると、男女問わずいつの間にか出来る様になります。過去の反省を生かし、日々前進できればそれで良し。

インタビュアー:有限会社赤津組 赤津まみ